私の発言ー北海道新聞夕刊

花を飾って街を美しく/奉仕の気持ち、形に表そう
1003/6/13

内倉真裕美



会員約40人がいる、私たち「恵み野花づくり愛好会」は自分の庭を花で飾る活動を続け、交流を広げている。五年前に恵み野で「第一回国際花サミット」 が開かれ、街の公共区約三キロ余りを花できれいにしようと「恵み野花の千人植え」の取り組みが始まったことがきっかけだった。

 以前よりJR恵み野駅前から商店会前に至る道路沿いの花壇は個人店が管理し、多くの花壇には花が植られていた。その距離を市民の手によってさらに延ば そうというのである。

 愛好会の事務局メンバーの意識は「自分の庭をきれいに」から、「街をきれいに」に変わってきた。花で飾られた街を散歩すると、だれ
でも気持ちがいい。種類は、キリンソウ、アルケミラモリス、ギボウシなどの宿根草の間に、ベゴニア、などの一年草を植え、開花期間が長く続くように工夫し ている。

 ただ、花は植えた後に毎日、目を配り、定期的に除草作業を行わなければならない。きれいな街づくりには手間暇と時間がかかる。千人植えと名付けたの は、多くの人が手を掛け、街に愛着を持ってもらいたい、という思いからだ。しかし今のところは、おなじみのメンバー数人が汗水流して作業する現実にとど まっている。

 春になるとゲートボール場は早朝からにぎわい、健康づくりに励むお年寄りの姿がある。幼稚園や学校の運動会では、わが子の応援で観客席は いっぱいになる。これらの人たちが少しずつ花づくりの活動に参加してくれたら、と願う。

 小さい愛らしい花が、人間の心理に与える影響の大きさは計り知れない。
 阪神大震災後、街の復興は急ピッチで進められたが、生活の立て直しが最優先の時 にも「心のやすらぎを取り戻したい」と、がれきにヒマワリの種をまき続けた人がいた。その活動が広がり、コスモスの種もまかれた。
「こんな大変な時期 に、何が花か」と思った人もいたかもしれない。しかし、夏の始めにヒマワリの花は大きく力強く開き、秋にはコスモスが咲いた。その力強く咲く姿を見て、 絶望の中にいた人々の心が癒やされたという話を聞いた。

 きれいな街は、そこに住む人たちの文化度を反映している。誰かが日々手を掛けていると思うだけで、感謝に似た気持ちになる。みんなが少しだけ奉仕の気 持ちを形に表せば、街はきれいになり、だれもが気持ちよく散歩出きる街になることだろう。

 (恵み野花づくり愛好会事務局長=恵庭市)




土木の日のシンポジウム
「美しい北海道と私」

2002年11月18日
北大学術交流会館
福島敦子 テレビ東京の「直問直答、構造改革待ったなし」のキャスターや週刊誌「サンデー毎日」に企業経営者との対談を掲載するなどマスコミで幅広く活躍。著書に「ききわけの悪い経営者が成功する」など
内倉真裕美 恵庭市在住。10年ほど前から、地元恵み野で花のまちづくりを実践し、多くの市民団体を立ち上げる。北海道フラワーマスター、NHK文化教室ガーデニング講師を務める。
下平尾文子 北大農学部卒業後、札幌市に入庁。東区土木部長を経て2001年に建設局土木部河川担当部長に。02年から現職。


11月18日の「土木の日」にちなみ、記念シンポジウム「美しい北海道と私」(主催・土木学会北海道支部、北海道新聞社)が同日、札幌市北区の北海道大学学術交流会館で開かれた。キャスターでエッセイストの福島敦子さんがプレゼンテーションで身近な土木について講演、トークショーでは恵庭市で花をテーマにしたまちづくりを実践する「恵庭市恵み野花づくり愛好会」事務局長の内倉真裕美さんと、都市の景観やまちづくりについて話し合った。コーディネーターは札幌市建設局土木部長の下平尾文子さんがつとめ、聴衆約420人が集まった。シンポジウムに先立ち、本年度の土木学会選奨土木遺産の認定証授賞式が行われ、石狩川に架かる「旭橋」=旭川市=を管理する旭川開建と、石狩川下流の生振(おやふる)捷(しょう)水路=石狩市=を管理する石狩川開建に認定証が送られた。



街を花でつなぎたいー内倉
素晴らしい大通り公園ー福島


下河原 今、公共事業の転換が求められています。整備の規模や量だけでなく、潤いのある街並み、自然環境や暮らしの豊かさとは何かを市民に示す必要があります。土木技術者はモノを作るだけでなく、市民の中に入っていって語り合うことが大事です。

内倉 実は土木と聞いてもぴんとこないのですが、土とは日々お付き合いしています。ガーデニングというのは土を掘り石を運んで・・・・と力仕事。まさに土木です。
 私は道の景観アドバイザーも務めたことがあります。北海道は広く、どの街も同じではない。花をもとにまちづくりをしたいという要望が強いのですが、住んでいる人が山や川を生かし、風景にあった花を街づくりに取り入れてトータルで風景をつくり上げていくことが大事です。北海道らしい花といえば、ラベンダーを思い浮かべる人も多いでしょうが、ここで提案があります。例えば夏にピンクの花を付けるエゾミソハギは群落を作るのに良い。ホップはツル性で、一つの株から殖やすことができ、公共施設にも合う。ルピナスは雑草と一緒でも見劣りせず、雨や風にも強い。一つの庭だけでなく、庭と庭、庭と公共施設を結ぶ通りや空間などを花でつないで、街をつくっていく。

下河原 公共施設や公園、庭をつなぐために花を利用するというのは、沿道にも潤いが出るし、特徴があっておもしろい提案ですね。

福島 北海道の特徴として、自然のほかにたとえば札幌なら、大通り公園がありますね。街が基盤の目に整備されているのは、地元の人には当たり前かもしれませんが、近代的なまちづくりの新しい方法の一つとして魅力を感じます。
下河原 大通り公園と基盤の目の都市計画は開拓当初に決められた基軸で、大きな遺産だと思います。今も大通り公園と創成川は、中心部の潤いの場として、札幌の都市再生のカギと位置づけられています。大通り公園を美しく彩る花壇コンクールは人心が荒廃していた戦後間もないころ、花を見て心を和ませてほしいと、園芸業者が始めたものです。

内倉 恵庭の恵み野には、各地から花を見にたくさんの人が来ます。1990年にニュージーランドのクライストチャーチ市のガーデンの映像を恵庭のイベント会場で見たことがきっかけで、翌年にはフラワーガーデンコンテストを開きました。95年には全国的な花のコンクールに応募し優勝。人がたくさん来るようになって、花マップを作りました。個人ばかりでなく、町内会も巻き込んで商店街の花壇に花を植えてもらいました。草だらけの花壇に花が咲いたという変化は大きく、協力者が増えていきました。

景観損ねる奇抜な施設ー福島
みどりがあって花は生きるー内倉


下河原 福島さんのプレゼンテーションで、フランスのアルザス地方の住民が自主ルールでまちづくりをする話がありました。福島さんは花を生かしたまちづくりについてどう感じますか。

福島 その土地にある自然環境や花と、人の手で造った建築物とがどれだけうまく調和するかが重要ですね。人気があるとか今流行だとかではなく、環境や風景に合った花を選ぶことです。
 ある街に行ったときに、市役所の人が有名な建築家が造ったという橋を誇らしげに見せてくれました。恐竜をイメージしたという奇抜なデザインで、珍しいのですが、景観にあっているかは疑問でした。地元の人達も「なんでうちの街に恐竜が?」と言うのです。行政側の思いと地域の思いが一致していない。街並みに溶け込めないような奇抜なものでは、意味が無いどころか景観を壊しかねない。全国どこに行っても、こんな話はありますね。

下河原 行政として耳の痛い話です。技術者が勘違いをして、施設や建造物のデザインに凝りすぎることは確かにあります。福島さんの講演にあった「引き算の美意識」を忘れた自治体も多かったのだと思います。
 北海道の大地は雄大で、農業を基盤とした景観に感激する観光客も多くいます。それに加え、針葉樹林やヒグマといった北海道ならではの自然環境や文化と、土木の仕事、地域の人が相互に結び付きながら、景観を形成していくということを考えなくてはならないと思います。さて、花を切り口にすると、景観やまちづくりにどんな変化があるのでしょう。

内倉 景観アドバイザーをしていた時、まちづくりをテーマに話すときは背広姿の男性が目立ちました。花をテーマにすることで、女性の参加が目立つようになりました。また、私が花を生かしたまちづくりを始めた当初は、行政が町内会にお願いしてプランターを置いてもらっていました。今は、個人の家に花を植えることが街を明るくする事につながると分かってもらえるようになりました。ガーデニングコンテストを見ても、最初は花の数を競争傾向が続きました。近年は季節感を考えたり、その土地に合う花を選んだり、一年草から宿根草にするなど変わりつつあります。
 花は緑の存在があって、生かされるものです。ところが街路の落ち葉が迷惑と苦情が出て、プラタナスやイチョウの並木が剪定され丸坊主になっているのを見たことがあります。邪魔になる葉は刈り取ってしまおうという考えですが、落ち葉の風情を楽しむのも大切なことです。


愛されるものをつくる先人の信念取り戻してー福島

下河原ーまちづくりと無関係だった人たちが興味を持って、参加し始めているのは素晴らしいですね。幅広い交流をお持ちの福島さんは土木事業における人材についてどんなことを感じますか。

福島ーある大学の土木の先生にこんな話を聞きました。学生に建設現場を見せる課外授業を年に一回行っているのですが、技術者が最新技術について熱を入れて話しても、学生はあまり反応しなかったそうです。
 ところが、ある時、明治時代に造った橋やダムを見学させたら、学生達は感動で言葉もなかったそうです。技術でいえば明治時代の方が劣るでしょうが、先人の「美しいものを造ろう」という熱い思いに心を動かされたそうです。
 丈夫で安いというコスト意識が今の時代は大切ですが、百年たっても文化文化価値が高く、地域の人に愛されるものを造ろうという意識は薄いのではないでしょうか。明治の人達の壮大な理念と夢、熱い信念を今の土木の現場にも持ち込むことでまちづくりは大きく変わっていくと思います。

下河原ー国の国土計画は、今までは国土の均衡ある発展と転換しました。どこを切っても同じというのではなく、地域ごとの自然環境や文化、住む人の心にあった国土にして行かなくてはならないと思います。土木に携わる者として、明治の人達に負けないような情熱を持って、二一世紀、二二世紀にも引き継いでいかなくてはならないと思います。




花と・・・人と・・・出会い


    内倉 真裕美

 
中村さんのお婆ちゃまは、園芸家と言うよりはガーデナーと呼びたい一人である。    

 今は花のまちとしてちょっと有名になった恵み野でフラワーガーデニングコンテストが行われるようになったのは11年前のこと、その頃からお婆ちゃまのお庭とお隣の細井さんのお庭は、通りを歩く人たちの目を楽しませてくれていた。

 中村さんが土いじりをするようになったのは、恵み野に移り住んだ翌年に細井さんから数個のパンジー苗を頂いたのがきっかけだったそうで、苗と一緒に育て方の手ほどきを受け、そのパンジーはとても綺麗に元気いっぱいに花を咲かせからのことだった。

 お婆ちゃまは「70歳からの手習いですよ」とはにかんだ感じでちょっとうつむき加減に目をくりくりさせながら話してくれた。

 今ではガーデニング歴15年のベテランで、一苗の花を大きく咲かせることに加え、ガーデンセンスもなかなかの物でお婆ちゃまの教えを受けた地域のガーデナーも多い。
 そんなお婆ちゃまの庭だが、ガーデニングコンテスト5年目のこと「おや?」と思わせるほど庭に花数が少ない。もしかしたら体の調子が良くないのかもしれない。

 審査員の方々も皆、お婆ちゃまの体調を気遣った。
 それから2年間ほどそんな状態が続いていたが、翌年の庭は違っていた。庭は以前の様に、もりもりと元気いっぱい花が咲き乱れ、私たちを出迎えてくれた。

 お婆ちゃまの庭は、不死鳥のごとく見事に蘇ったのだ。
「おばあちゃん元気になったんだよ!」
 審査員一同、車内で大騒ぎになった。
「おばあちゃんの顔を見なきゃ・・・」
「内倉さんおばあちゃんを呼んできてよ」
「はいはい喜んで・・・」と駆け足でチャイムを押しに行った。
 お婆ちゃまの顔を見るなりみんなは、手の痛くなるような拍手で出迎え健康になったことを喜んだ。
 
 私は、嬉しかった。おばあちゃんが元気になったことは勿論だが、審査員のみんながこうして喜んでいること、みんなが同じ気持ちになったことが何より嬉しかった。

 お婆ちゃまと、みんなの関係といえば?誰一人として親しい間柄でも何でもない。

 一年に一度だけ何の前触れもなく勝手にお庭を審査するのが恵み野流ガーデニングコンテストで、時には庭主さんさえ知らないこともある。
 でも、庭は花を通して何時も作り手を語ってくれていたのです。

(恵み野フラワーガーデニングコンテスト実行委員会事務局長)


 

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