3.新たなる地恵み野(1988.3.)
新学期の説明会の日、歩いて10分ちょっとの恵み野小学校に向かうと、玄関横には「転校生の方」と書かれた机があり、そこで受付を済ませてから一階音楽室に向かった。
入り口付近には人だかりが出来ていて中を覗くとびっくり。中には親子が動けないほど、寄り添うように座っている。まるで満員電車状態で私達も押されるように奥へと進み何とか椅子に座る。隣に座っている親子も、うちと同じ3人の子供を連れた奥さんで、荷物の置き場がなく、足下に靴の袋が置かれ、膝の上には、バックに紙袋、子供達と奥さんのコートが溢れ、床にこすれている。私は垂れ下がったコートを持ち上げ、小さな声で教えてあげる。
「コートが・・・」奥さんはあわてて、コートを引き上げ
「すみません」と小さな声で答えてくれる。
「それにしても、ずいぶん込んでますね」周りを見渡して小声で話すと
「みんな、転校生なんですよね?」きっとそうなんだろう、私は首を縦に振る。
この教室だけで全員が入るのだろうか、まだ人が入ってくる。
2人の子供達も珍しそうにキョロキョロしながら落ち着かない様子。背中では娘がぐっすりと寝ている。その頭が仰け反って重いのと人の熱気で息苦しい。背負い紐が肩に食い込む感じで肩は張るし頭も重い。
憂鬱そうな私とは違い、周りの子は皆、利発そうに見えるし、大人達も夢と希望に満ちあふれて見える。
先生らしき人が
「狭くて申し訳ありませんが、詰めてお座り下さい」とテキパキと支持をする。
狭くなるのも無理はない。2人の入学生に娘を背中に負ぶって4人で参加している私。周りを見るとご夫婦で参加されている人も結構いる。
先に、恵み野移り住んだ知人から予備知識を入れてはいたが、聞きしに勝る入学説明会である。
新興住宅街はみなこうなのかしら。
この光景は毎年春の新入学の時期と、人数は少し減るが夏休みが終えた時期にも行われるという。
狭い中で、お隣どおし挨拶がわりに交わされる言葉は、
「どちらから要らしたんですか?」
「札幌からです」
「へー札幌からでしたか?私は虻田町から来たんですよ」
「虻田ってどの辺ですか?」
「洞爺湖温泉のあるところで・・・」
「あーっそうでしたか」子供の方をちらっと見てから
「何年生ですか?」
「二年と四年生です」
「四年生だったら家の子と一緒だわ!一緒のクラスならいいですね。どうぞヨロシクお願いします」
「こちらこそ」
こんな会話があちらこちらで交わされるのである。
学校の参観日も活発で、役員さんもアッというまに決まる。役員さんが考えてくれる色々な行事にも、みんながとても積極的に参加していたし、この恵み野という地に早く慣れようと思う気持ちがそうさせていたのか、親も子もみんなが前向きだった。
どちらかというと、友達付き合いの苦手な長男の新五が入学式当日に、どやどやと友達数人が押し寄せてきてくれた時には、もうビックリ仰天。
長男は得意げで、お猿みたいに、柱を伝わり梁の上まで登り、毎日特訓していた技を披露すると「おー!」と言う歓声が上がり
「僕も登らせて・・・・」と次々にチャレンジジする。みんなが一通り登り終えると
「今度は僕の家に行こう・・・」と誰かが言い。長男も一緒に大移動する。
こんな日が何日も何日も続いた。以前の学校では全く考えられない光景で、これだけとっても、恵み野を選んで良かったとつくづく思う毎日だった。
以前いた学校では、グループ評価が盛んで、忘れ物、家庭学習など、全てがグループの得点となった。机の前に座っていることが苦手な長男は、毎日の宿題が地獄の苦しみだったらしく、
「宿題しなくていいの?」と私が言ったとたん、新五の頬には大粒の涙がこぼれ落ちる始末だった。
それは丁度、お猿さんに鈴を鳴らしてからバナナをあげ続けると、鈴を鳴らしただけでよだれを垂らす条件反射と同じように、新五は「勉強!」と言う言葉で涙が出てくるらしい。
新五がイヤイヤ勉強する様子は、先ず鉛筆削りから始まる。勉強道具を用意をするだけで悠に一時間。次にノートを前に鉛筆をくるくる回したり、鼻の下に鉛筆を挟んだり、物思いにふけってさらに一時間が過ぎる。こうして最初の鉛筆がノートの上に滑り出すまでに数時間が掛かる。
『この宿題を何としてもさせなくては・・・』と思う私に。
『お母さんが何を言おうと、学校で怒られようが僕は宿題なんかしない。いや出来ない』と、頑固な新五との葛藤がいつも火花を散らす。
私と彼との根比べは両者にとって精神衛生上良くない物で、こんな事が何日も続くと二人ともクタクタになる。
ある日思った。何故新五がこんなに拒否するのに、私は躍起になっているんだろう。もしかしたら、新五の為と思っているこの行為は、私の自己満足で新五にはなんのプラスになっていないのかも知れない。それどころか、このまま続けていたら新五をダメにしてしまうかも知れない。「もうよそう、このままで良いはず無いもん」私は深く反省した。
参観日に、先生に相談してみた。
「先生、うちの新五なんですが、よそのお子さんと同じ速度で物事をするのがどうも苦手なようで。本人は宿題もしなければいけない事は分かっているし、していかなければ友達に迷惑を掛けることも十分感じています。しかし、机に向かうとなぜか、具合が悪くなるようで、勉強が全然はかどらないと言うか、夕べも夜の十二時になっても三分の一も進んでいないんです。本人は机から離れるといけないと思って4時間も椅子に腰掛けたまんまで、鉛筆をくるくる回したり、ノートの上に両肘を付いてペターとほっぺたを手のひらに載せていて、漢字を一ページ移すだけで終わる作業なのに、それが全然進まないんです。
先生。どうかグループ評価の方法を違う形に変えて頂けないでしょうか?例えば、個人評価にするとか、もし全員個人評価が無理なら新五だけ一人グループにしてもらうとか・・・、そうすると、勉強しなかった新五、一人が悪いわけで、忘れ物をした新五が悪いで済みますから、それがグループ評価になるとグループ全体の責任になり、みんなに迷惑を掛けることになります。あの子が忘れ物をするたびに、みんなからは新五がいるから駄目なんだという話になるでしょう。このままだと、私も新五もとても辛いんです。」
少し大げさだが、壮絶な母の叫び声なのだ。しかし先生はいとも簡単に
「お母さんのお気持ちは良く分かります。しかし、慣れればちゃんと出来るように成りますから」
(慣れる前に嫌になる子もいるはずだ)と私は心の中で首を横に振っていた。
「最初は大変かも知れませんが、社会に出ると全てが競争社会です。学校は社会に対応出来る子を育てるのが勤めですから、また、生活習慣は慣れが一番です。みんなに迷惑を掛けないように本人にも、がんばれるよう、お母さんからも応援して上げて下さい。どの子も努力をすると出来るようになりますから」
先生の言葉に、これ以上何も反論する気にならなかった。そのまま黙って帰宅してきた私は、どうも納得が行かない。
「そうかな〜?」と大きなため息を付く。
息子は、宿題しないことで、誰に迷惑を掛けているんだろう。ハンカチ、ちり紙を持たないことが、誰に迷惑を掛けているんだろう。爪を綺麗に切っていかないことが・・・・・。
もやもやした感情で整理が付かないまま、同じグループの子からは容赦なく、電話が掛かってくる。
「新ちゃんいますか」
「はい!ちょっと待っててね。新五、○○ちゃんから電話だよ」気乗りしない様子で受話器を受け取ると。
「まだ・・・・うんわかった」元気のない声で返事をしている。
内容は、きっとこんなやり取りだったに違いない。
「新ちゃん、宿題終わった?」と、グループの子が問いつめる。
「まだ・・・・」と、新五が答えると
「ちゃんとしてくれないと、私達のグループまた○もらえないんだからね!必ずしてきてよ。ティッシュもハンカチも忘れたら駄目なんだからね!」とまたまた厳しいお言葉をもらう。
「うんわかった!」としょぼくれた声で、新五が返事をする。
毎日のように、このような電話が掛かり。新五は、取り合えず机に向かう。しかし、いつものように勉強のしたくないもう一人の新五が、頭の中にバリアを張り、勉強をさせてくれない。新五は憂鬱になりそれでも机に座り動かない。何かに取り付かれたように、じーっと、じーっと座っている。その内にスイマーが訪れ何時しか眠りに付く。それも机の上で・・・。
そんな姿を見て、以前の私なら何とか新五に勉強をさせようと躍起になって頑張った。
「新五、宿題一緒にして上げるからどれどれ・・・・」とカバンから、教科書とノートを出して。最初はなだめるように・・・、二回目は諭すように・・・、そして三度目は命令長で、そのうち段々怒りが増してきて
「新五!何でこんな簡単な問題が出来ないの!」と頭から湯気をポッポと噴き出して大噴火するのだ。(あーぁ怖い・・・)
その声を聞いて、新五の心はさらに貝のように閉じこもり、私の顔を見ただけで勉強嫌いになったに違いない。いや、私が悟ったこの時点で、新五はもう十分に勉強嫌いになっていた。内心一生このままかも知れないナーと思い、深く自分を反省した。
反省のお詫びに、私は新五に提案した。宿題はもう仕方がない。出来るところで良い。もし、出来なければそれでも良い。ハンカチとティッシュは多めに入れ、使わないハンカチとティツシュを用意した。「親がこんな事して手伝うから子供がダメになるんだ」と言われるかもしれないが、毎日人様から注意されている防衛方法を身につけさせるのも、親の務めと割り切った。
学校のグループ決めは、最初にグループ長が決められ、その次に副グループ長が、それから順番に、欲しい人たちを引き抜いていく。いつも残るのはお決まりの数人で、最後は何処のグループにも来て欲しくない厄介な子を、じゃんけんで決めて引き取ることに成っている。新五は言うまでもなく、残り組で、やっとの思いで、どこかに引き取られていく子だった。
「このようなことは、社会に出たら、当然のことで小さい内から、訓練されていた方がいいのだ」と、グループ評価に自信を持っている先生方は、胸を張ってこうおっしゃる。
冗談じゃない。それじゃあ夢も希望もないじゃないか、厄介者は最初(小さいうち)から自覚しなさいとでも言うの?
管理社会からすると、確かに、優秀な子が、出来の悪い子をびしびし鍛えることは、今の社会っぽい。でもそれは考え方によっては、先生が楽出来る方法を考えているだけじゃないの?
優秀な子は、自分の直属の部下(グループ長)となり、担当(グループ)の社員(子供達)を上手に束ねてくれる。グループ長がビシビシチェックすることによって、成果は上がり自分一人で全員を目配せしなくても良くなる。
意地悪な見方かも知れないが、やっぱり先生が楽できる最大の方法じゃないか?ついこのように思ってしまうのは、問題児を抱えた一部の親の考えなのだろうか。
「迷惑を掛ける・・・?」確かに宿題をしない息子は、グループの子には迷惑な子なのかも知れない。だけど、グループ評価をなくした場合。例えば個人評価にすれば、誰にも迷惑など掛けていないことになる。個人評価になったら新五自信の問題なのだから。もしこうなったら優しい女の子から
「しんちゃん、又宿題忘れたの・・・・しょうがないんだから、一番びりっけつよ」なんて言われ
「きのうは・・・カラスあげは取っていて・・・帰り遅くなったんだ」と、新五が答える。
「へーっ、アゲハチョウ捕まえたの、しんちゃんってスゴイ!見せて欲しいな!」となって
「うん、それじゃあ今日遊びに来る・・・・」とまあこんな会話になるかも知れない。(ちょっと楽観的かな・・・?)
一人一人が違う子供達なのだから、早く出来る子もいれば、人の二倍かかる子もいる。努力は必要だけど、ゆっくり努力する子がいたって良いじゃない。みんなと同じ事が出来ない子には、もしかしたらみんなとは違う才能が秘められているかも知れないじゃないか。みんなと同じ事が、一番の評価だなんて、やっぱり違う。
でも、これがもし次男坊の大輔だったらバリバリ頑張って◯いっぱい貰っていたかも知れない。そうすると私の、先生に対する評価は又全然違っていたと思う。だって殆どの父母はいい先生に習って感謝していたのだから。ホント先生も大変だよね、色んな子がいるんだから、相性が合う合わないもあるだろうし、たまたま新五には相性が合わなかった、だけなんだよね。でも親子は相性が合わないからじゃ済まされないから悩んじゃうよ。
「もういいよ新五。新五には誰にもまねの出来ない良いところが沢山あるんだから、母さん新五の良いところ一杯知ってるもん」
『ざりがに』を捕らせたら、どうしてそんなに『ざりがに』のいる場所が解るの?と言うくらい、誰よりも沢山の『ざりがに』を見つけられるし、その根気と来たら「まだやるの?」と誰もが舌を巻くくらいの根気の持ち主だ。
海に行くと、いつまでも潜り続けて、魚を追い続ける。どんなもんだい。あんたは思い込んだら熱中できる子なんだ。この日を期に、母さんは心に決めた。
〃ゴーイングマイウエイ〃だもんね。今の学級では、あまり認められないかも知れないけれど。その内、新五の良さを分かってくれる先生に出会うこともあるでしょう。
でも、そうは言ってもちょっと辛いよね。『お互いに・・・』
私には子供が三人いる。長男の新五は、今話したように要領の悪いマイペースの子。
次男の大輔はテレビを見ていて、コマーシャルの間に宿題が出来てしまうような、どちらかというと要領のいい子。
末の娘小百合は、一歳八ヶ月になってもまだ歩こうともしない慎重派で、他人に「おべっか」をされると、火がついたように泣き出すし、いつでもどこに行くときでも、私にビッタリしがみ付いて離れようとしない子。
三人三様の何とも個性豊かな子供達は同じ親から生まれた同じ遺伝子を持つ子ども達なんだから、とっても不思議。どんなに小さくってもみんな、それぞれに独自の個性を持ち、親が何をいおうが、どうしようもないくらいの強い意志で自分の存在感を私に知らしめる。本当に子供とは厄介な生き物で、親が戸惑うのも無理がない。
私はこの三人の我が子を持ったお陰で、楽しみ倍増というか、冷や冷やのし通しというか、この子達によって私自身の価値観が大きく崩れ、感心させられることも多く、勉強にもなった。
そこで親の悟り@は、子育ては育児書通りには行かないということ、よって多少違っても焦ることもない。
「まあいいっかー」の心境が必要。しかし、子育て放棄のそれとは違いますよ。
一歳半を過ぎても歩かない娘を見て、ご近所の方がしきりに心配してくれる。
「病院でちゃんと調べてもらった方がいいんじゃないの?」
なーんて言われても
「きっと、まだお母さんにくっ付いていたいんでしょう。伝い歩きもしていることだし、心配いりませんよ」と心配してくれる人に、反対に心配しなくても大丈夫。と軽く諭す事も出来るようになった。子育てって、大変だけど、面白い。
「ようし、あんた達と私は、これからはライバルだよ。母さんも負けやしない。競争だ。あんた達を、とことん守るけど、甘やかしたりしないんだから。そして、母さんも自分の思ったことを貫いて頑張るよ。いいね!」
恵み野に移り住んでから新五の様子が別人のように違います。学校から元気良く帰ってきた新五は、大慌てでカバンの中から、一枚のプリントを出して。
「お母さん、これ!」と腕をいっぱい伸ばして、得意満面の笑みで差し出した。
「えーっ、何々、新五の作文じゃない!」
題名は『引っ越してきたこと』作文の後書きに、先生のコメントが書かれている。(動きのあるとても良い文章です)一番最初に書いた作文がクラス通信に載ったのだ。
「やったね新五。スゴイ!」万歳三唱だ。この作文は我が家の一番いい場所に張り付けられた。小学校に入学して依頼。四年生にして始めて学校の先生から誉められた気がする。
家庭訪問の日に担任の嘉川先生は、さらに新五の良いところを、いっぱい出して誉めてくれる。親がひいき目に見ても数少ない長所を葭川先生はほんの数ヶ月の間に感じ取ってくれた。今までのもやもやしていた気持ちが一人の先生に出会って親子共々晴れ晴れとした。
「ちょっと、他の生徒さんよりはのんびりしていますが、新五と同じ波長の子もいますから、今のところ心配ないでしょう」
な〜んて良いところに来たんだろう。
嘉川先生という新五の事を解ってくれる先生と出逢い。この恵み野の印象は、最高潮に達する。すっかり嬉しくなった私は、誰かに報告せずにはいられない。まず、実家の両親に報告する。まだそれだけでは飽きたらず以前いた富川に住む友達のところにまで電話を入れる。
「恵み野に越してきてホント良かったよ・・・」新五の先生のことを夢中になって話していると
「もしかしすると、その先生、私が習った先生じゃないかな?」
「まさか、えっちゃんが習ったって?何年前・・・」
逆算していくと 彼女は私より四歳上だから、「エエと・・」もう25年以上も前に習った事になる。
「確か恵庭の学校にいると聞いたもん」年格好からすると・・・・、彼女は絶対に間違いないと自信満々にいい張る。
「それホント・・・」
「絶対間違いない」それってスゴイ偶然。
「私も、葭川先生大好きだったんだ」と彼女も昔話を聞かせてくれる。
「うんうん、分かる分かる。そうでしょう。そうでしょう」と納得する。
「それじゃあ新ちゃんは、私の後輩になるわけだ・・・・」
「そうかねー?」話はこうして盛り上がる。
週末に帰ってきた主人にこのことをみっちり話すと
「お母さんて、本当に単純で幸せだね!」と、ちゃかされる。
「だって、本当に嬉しいんだもん」
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