2007年12月1日  午前9:10ころ
笠岡市走出 北川薬師・持宝院


「夏と冬の大祭には、この北川駅のホームは人があふれ、臨時列車があり、次の次の列車を待つ人もいて、それはもう大変なにぎわいぶり」
であった。

老人氏はそう言った。


その話は父からも「歩いて薬師まで行っとった。」、母からも「薬師さんの祭りにはよう行きょうた。」という話を何度も聞いていた。




が、しかし。




「会陽」、
現代の笠岡市区域で裸祭りがあったことは、それを確認するのは半ばあきらめていた。




再び父の話「せまくいて会陽をする場所がなかろう。」、母「聞いたことはない」。





それから何人の人に尋ねただろうか?
走出に走れば畑仕事のおじいさん・おばあさん、甲弩に走れば散歩中のおじいさん・おばあさん、そのすべての人が「北川薬師の裸祭り」は聞くことも見ることも伝えることも出来ない人であった。





本当に裸祭りは存在したのだろうか?
しかも、それは非常に小規模のものだったのだろうか?







再び老人氏、「ありました。」




以下、老人氏の話。




「私がここに復員して2〜3年ありました。」



(参加数が少なくなって消滅したのではなく、負傷者が出て止めたのでもなく)

「今でいう○○の人が来るようになった、その人の中に刃物を持つ人がいた。これでは危ない。大きなことにならないうちに廃止しとこう。」



ということで笠岡の裸祭りは廃止されたそうだ、笠岡市史の記述「終戦ごろ廃止された。」とほぼ合致する。







「参加者は150人ほどいました。

井笠鉄道から神木へ寄付がありました、それで遠方から来る人もいました。


児島の人で五寸釘を指で抜くいう人がいました。
その人が会場にきていたら宝木とっても(ゴール地点まで行けず)途中で獲られるゆうてようりました。(笑)」















「あそこ(老人氏は薬師への山道の石燈篭ふきんを指さした)で裸になっていました。」

「宝木は二本、それに枝木を投げていまいた。」


























つぎ・北川小














2007年12月3日