須佐之男命、素佐之男尊(すさのおのみこと) 諡号:神祖熊野大神奇御食野主尊(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと) 別名:布都斯(ふつし) 出雲王国初代王であり、出雲九州連合王国の初代王である。122年頃出雲沼田郡で生まれる。父は布都(ふつ)。蒙古系の血筋だと思われる。142年頃出雲第一の豪族八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)に連れ去られた稲田姫を取り戻すため、夜襲をかけて彼を倒し奪い返す。その後三室山のふもとの須賀に居を構える。出雲・隠岐を186ヶ村に分けて、それぞれに村長を置き、西出雲には支庁を置いて支配していた。越前、加賀、能登、長門、筑前、豊前に遠征をしたりしていたが、173年頃、本格的に九州侵攻を開始する。豊前に上陸し、瞬く間に筑前筑後、豊前豊後を統治下に入れる。筑紫は饒速日命に任せ、自身は豊の国の宇佐に拠点を置く。177年頃、日向王国の中心であった阿波岐原に侵攻し、王を降伏させ、王女であった大日霊女(おおひみこ)を妻として娶る。拠点を宇佐から西都に移し、九州を統治する。182年頃、第五子の饒速日命を大和遠征に向かわせる。その後、朝鮮、大陸侵攻を計画し、第二子の五十猛尊(いたけるのみこと)を派遣したが、185年頃出雲の熊野で亡くなる。非常に勇敢で強く、民にも慕われた名君であった。 |
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